日本酒検定準1級 2023年9月 回答解説3 

日本酒検定

2023年9月に実施された準1級試験問題の解答解説を作成してみました。準1級を受験される方はもちろん、2級、1級の受験者にも有益な内容になると思います。

 

問21 会計年度の略称を選択肢より一つ選べ。

1.BY
2.FY
3.CY
4.RY

・酒造年度はBrewery Year、略称BY
・暦年はCalender Year、略称CY
・会計年度はFiscal Year、略称FY
・米穀年度はRice Year、略称RY

コラム日本酒独自の期間区分「酒造年度(BY)」について(テキストP113)からの出題

正解は、2.FY

 

問22 日本酒の原型とされる口噛みの酒が記された『風土記』の現在の地城を選択肢より一つ選べ。

1.現在の島根県西部
2.現在の大分県南部
3.現在の鹿児島県東部
4.現在の兵庫県西部

「大隅国風土記」(713年以降)の中に、大隅国(現在の鹿児島県東部)では、村中の男女が水と米を用意して、生米を噛んでは容器に吐き出し、一晩以上の時間をおいて酒を醸していたと記されている。
なお、「播磨国風土記」(713年頃)の中に、播磨国(現在の兵庫県西部)で、干し飯が水に濡れてカビが生えたので、それを用いて酒を造らせ、宴会をしたという記述がみられる。

日本酒製造起源所説(テキストP118~119)からの出題

正解は、3.現在の鹿児島県東部

 

問23 『古事記』に記載された“麹を用いて、大酒を醸造し献上した”人物を選択肢より一つ選べ。

1.大国主命
2.加無太知
3.須須許里
4.須佐之男

「古事記」によると、「応神天皇の御世に来朝した百済人の須須許里(すすこり)が加無太知(麹)を用いて、大神酒を醸造し献上した」という記述があり、これを起源とする説もある。

日本酒製造起源所説(テキストP118~119)からの出題

正解は、3.須須許里

 

問24 僧坊酒が衰退した後、諸白を改良して高品質かつ大量生産の製法で好評を博した選択肢より一つ選べ。

1.伊丹酒
2.平野酒
3.江川酒
4.天野酒

僧坊酒が衰退した後、諸白を改良して高品質かつ大量生産の製法が開発され、これらは「伊丹酒」として評判を呼び、江戸時代には菱垣廻船、樽廻船などで大量に輸送されるようになった。なお、天野酒は僧坊酒、伊豆の江川酒と河内の平野酒は地酒にあたる。

地酒の広まりと焼酎の伝来(テキストP123~124)からの出題

正解は、1.伊丹酒

 

問25 2013年時点で、日本で100年以上続く酒蔵数を選択肢より一つ選べ。

1.約500場
2.約600場
3.約700場
4.約800場

2013年時点で日本で100年以上続く酒蔵は707場あり、100年以上続く企業しては酒蔵が最も多い。(貸事務所613場、酒小売596場、呉服・服地小売567場)

地酒の広まりと焼酎の伝来(テキストP123~124)からの出題

正解は、3.約700場

 

問26 江戸時代に寒造りが定着する以前の年間における酒造りの主な回数を選択肢より一つ選べ。

1.3回
2.4回
3.5回
4.6回

これまで、新酒、間酒、寒前酒、寒酒、春酒と年に5回、四季を通じて行われていた酒造りが、寒い冬が最適な環境であること、冬に手が空く農民を労働力として確保しやすいこと、酒造統制の一環として冬以外の製造が禁止されたことなどから、冬季のみに酒造りが行われるようになった。

「寒造り」の始まり(テキストP126)からの出題

正解は、3.5回

 

問27 日本酒最大の生産地である”灘五郷”に含まれない現在の都市を選択肢より一つ選べ。

1.兵庫県神戸市灘区
2.兵庫県神戸市東灘区
3.兵庫県尼崎市
4.兵庫県西宮市

灘五郷と呼ばれる地区は、現在の兵庫県西宮市と神戸市灘区と東灘区を指す。

コラム灘の男酒、伏見の女酒(テキストP128)からの出題

正解は、3.兵庫県尼崎市

 

問28 江戸時代に灘より江戸へ運ばれた日本酒の呼名を選択肢より一つ選べ。

1.下り酒
2.地廻り酒
3.上方酒
4.上り酒

現在の東京都中央区の新川、新堀、茅場町あたりには、主に灘からやってくる「下り酒問屋」が誕生、また、南茅場町、霊岸島(現新川2丁目)あたりには、いわゆる関東周辺で製造される酒を取り扱う「地廻り酒問屋」が誕生していく。

江戸における酒問屋の誕生(テキストP128)からの出題

正解は、1.下り酒

 

問29 明治維新後、日本政府としても公式参加し日本酒が本格的に海外進出をする契機となった博覧会を選択肢より一つ選べ。

1.1873年ウィーン万国博覧会
2.1876年フィラデルフィア万国博覧会
3.1878年パリ万国博覧会
4.1880年メルボルン万国博覧会

1873(明治6)年、オーストリアのウィーンで開催された万国博覧会に日本酒が出品された。明治維新以後、政府お墨付の商品として欧州に出品されたこの時が、日本酒初の海外進出と捉えてよいだろう。

コラム日本酒初の海外進出(テキストP130)からの出題

正解は、1.1873年ウィーン万国博覧会

 

問30 明治時代から大正時代の間に開発されていないものを選択肢より一つ選べ。  

1.合成清酒
2.速醸系酒母
3.堅型精米機
4.琺瑯タンク

・1909(明治42)年に国立醸造試験場が山廃酛を開発、翌年には速醸酛を開発する
・1918(大正7)年の米騒動の際、アルコールにさまざまな調味料や色素などを混合し、日本酒風に仕上げた混成酒(リキュール)が理化学研究所により開発され合成清酒と名付けられた
・大正時代から昭和初期にかけて鉄の表面に特別な加工をした琺瑯(ほうろう)タンクが開発される
・昭和に入るとさらに技術革新が進み、品質の高い日本酒が続々と登場する。なかでも回転する円盤状の砥石で米を削り取る堅型精米機の発明により高精白が可能となり、さらに品質が向上する

日本酒の近代史(テキストP130~132)からの出題

正解は、3.堅型精米機

 

以上で回答解説3は終了です。

 

 

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